「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
MOVIE- 知ることにより変わる・変えられる-
「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
SNS、未曾有の⻑寿社会、家⽗⻑制や終⾝雇⽤制度の崩壊、多様なジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティの可視化、顕著になったリプロダクティブ・ヘルス/ライツの貧困、そして、新型コロナウィルス……現代は前例のないことだらけ、ロールモデル不在の時代です。だからこそ、私達は⾃分のいる社会や世界をもっとよく知ることで、新しい⽣き⽅をデザインしていけるのではないでしょうか。「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な 映画を毎⽉お届けしていきたいと思います。
映画作品は、演技、映像、音楽など異なるアートが重なり作り上げられたもの。映画にしかできない重層的なアートを追求したのが、5月26日に公開される『aftersun/アフターサン』だ。本作は、監督のデビュー作にして、アカデミー賞®主演男優賞(ポール・メスカル)ノミネートを含め、全米映画批評家協会賞監督賞や英国インディペンデント映画賞作品賞など世界各国の映画賞を受賞した。
セリフを極力排除し、斬新な映像で父娘のひと夏を描き、クイーン&デヴィッド・ボウイ、ブラー、R.E.M.、チュンバワンバといった90年代のヒットソングを効果的に用いた本作は、愛と喪失が絡み合い深い感動を呼び起こす。ストーリーにときおり挟み込まれた映像が父の抱く苦悩を浮き彫りにする役割を果たしている。カンヌでプレミアされて以来、世界中から注目を集め、スタジオA24が北米配給権を獲得した『aftersun/アフターサン』は、ガーディアン紙など多くの主要メディアからも「本年度のベストムービー」に選ばれている。大成功を収めたデビュー作の脚本・監督を務めたのは、1987年生まれのシャーロット・ウェルズ。スコットランド出身で現在はNYを拠点に活動する彼女が来日した際にインタビューを行い、その表現力と創作意図について掘り下げた。
11歳の夏休み。普段は別々に暮らす父カラム(ポール・メスカル)とトルコのリゾート地を訪れたソフィ(フランキー・コリオ)は、あと2日で31歳になるカラムにビデオカメラを向け、問いかける。工事中のリゾート施設にたどり着いたカラムとソフィは、予約したはずのツインベッドの部屋ではなく、クイーンサイズのベッドのみが置かれた狭い部屋に案内されてしまう。やむなく簡易ベッドに眠ることになった。カラムは、ソフィが眠りについたあと、バルコニーでひとりタバコを吸い、闇の中で踊る。兄と間違えられるほどに若く見えても娘思いの優しい父親であるカラムは、旅行のために最新の家庭用ビデオカメラを入手し、ソフィの背中に入念に日焼け止めを塗り、タバコは体に悪いと切々と語り、太極拳の護身術を教える。母親との暮らし、学校生活について話をしながら、かけがえのない親密な時間を過ごすふたり。だが、骨折したという腕にはめたギプスを取り外すとき、ままならない状況に陥ったとき、堅実さとはかけ離れた人生を生きるカラムの苦悩が衝動的に時折顔を見せるのだった。
――この映画には監督の自伝的要素が含まれていると聞いています。
ウェルズ監督:ある日、子どもの頃にバケーションへ行ったときのアルバムをめくっていたら、父の若さに衝撃を受け、自分もその年齢に近づいていたことにハッとしました。時がゆっくり流れるリゾートなら親子の関係を探るのにぴったりの場所だと思い、トルコのリゾートでの休暇を舞台にしました。
――この脚本を書くのに長い時間をかけたとか。
ウェルズ監督:はい。3、4年かけて書き上げたのですが、苦労しました。特に終盤にかかり、色々試行錯誤するなかで「私に長編を書き上げる能力があるのかな」という疑惑が何度も頭をよぎりましたが、「諦めたら終わりだ」という思いでなんとか書き終えました。ですが、私が人生で初めて作った短編映画も、自分の父を亡くしたことがテーマでした。この映画を作ることで、私は過去からの一歩を踏み出すことができたと思っています。
――つまり、この映画製作が監督の癒やしになったのでしょうか?
ウェルズ監督:最初に書いた初稿はある種に癒やしになったと思います。ティーンのときに父を亡くしてからずっと、父との関係から目をそむけていたので……。初稿が出来上がってからは癒しのプロセスは終わり、脚本は登場人物にフォーカスしてブラッシュアップされました。正直、「自分の物語にしたい」という気持ちもあったのですが、そういう自分から一歩引いた目で脚本を読み直すと、もっと登場人物のための物語にしたくなったんです。結果、出来上がったものはフィクションに近くなりましたね。
――映画内で主人公ソフィは父親をビデオで撮影しますが、監督のお父さんを映したビデオが残っていたのですか?
ウェルズ監督:1本だけビデオが残っていたんです。父のビデオが残っているとは知らなかったんですが、私がこのプロジェクトを始めた後にある人から受け取りました。何年もの間、その人とは繋がっていなかったのに、私がこの映画を製作するときにその人と繋がったんです。本当に不思議ですよね。でも、そのビデオには父の顔は映っておらず、声だけが残っていました。
――それは不思議な縁ですね。監督の記憶通りの声でした?
ウェルズ監督:父の声を覚えているつもりだったんですが、実際に聞いてみたら、言い回しやアクセント、声のトーンが全然記憶と違っていて、とてもシュールな瞬間でした。それに声の奥にある心の動きも感じましたし。
――実際に声を聞いて、お父さんに抱いていたイメージが変わりましたか?
ウェルズ監督:ビデオや動画で父が記憶されていないので、父のイメージは写真と記憶から私が作りあげた、ファンタジーだったように思います。父の死から15年後、突然、父親の肉声を聞いて父も生身の人間だったということを実感し、衝撃を受けました。
――ところで、この映画を観た監督のご家族はどんな反応をしましたか?
ウェルズ監督:やっと、私が映画を作っていると本気で信じてくれました(笑)!それまでは、私がやっていることをクレイジーだと思っていたらしいのですが。昨年のエジンバラ映画祭で、18歳まで私が人生をともに過ごした家族や友人たちが集まって一緒に映画を観たんですよ。そして、フィクションとはいえ、父の記憶をみんなで一緒に共有できてとても素晴らしかったです。
――映画にはビデオ、ポラロイド、絵画と様々なアートメディアが登場します。どういう意図があったのでしょう?
ウェルズ監督:こういったメディアはすべて記憶をキープするために使いますよね。人生の一瞬を切り取って保存し、そのときにいた場所、一緒に過ごした人や匂い、食べたものなどを思い出すために使うのですが、私たちの記憶はそういったメディアから見えるものだけではありません。
ポラロイドは印象主義的で鮮明じゃなく、ピントもあってない。色彩は非常に独特で、必ずしも現実に忠実ではないですよね。より感覚を呼び起こすメディアであるポラロイドを使うことで、父の記憶が遠く去った“過去”のものだと表現したかったんです。ビデオの映像は、撮影する側の目を通して撮られた映像だから、“ソフィの視点”を表現しています。撮影する人の主観や眼差しが入っているところがビデオの魅力だと思います。
――なるほど。ポラロイドカメラは“ソフィの曖昧な過去の記憶”、ビデオの映像は“ソフィの父親を見る目”を表現しているのですね。さて、この映画で非常にユニークな点は、父親の抱えているものをセリフやストーリーで説明していないのに、ちょっとしたアクションでそれを観客に知らせるところです。ノスタルジックでハートウォーミングなストーリーだと思いきや、父親が歯を磨くシーンで物語のトーンが一気に変わりました。
ウェルズ監督:面白いですね。実は、そのターニングポイントは観る人によって違うらしいんですよ。それとなく不穏な雰囲気を感じていた人も、その疑惑が確信に変わるポイントがあると色々な人が教えてくれました。
――あの歯磨きのシーンはどのように思いついたのですか?
ウェルズ監督:私の体験ではないんですよ。「どうやったら人間の内面を表現できるのだろう」と友人と話し合い、思いつきました。人が思い悩んでいる場合、内在化された苦しみをどのように顕在化できるのか。あの時、父親が感じた自己嫌悪の感覚をどうやって映像で表現するのかーー。決まり文句やメロドラマ的な演出、そして、観客が期待する苦しみの表現ではなく、なにか別の方法を考えていました。実は、あのシーンが物語のトーンを変えてしまうから作品に一貫性がなくなるのではないかという指摘もありました。でも、「何かがおかしい」と感じるポイントが必要だと思って残しました。洗面所に映るモノまですべて計算して撮影したんです。
――物語の所々に挟み込まれた謎めいたシーンがありますが、どのようなインスピレーションを受けたのですか?
ウェルズ監督:メンタルプロブレムを抱えた人々に取材し、とにかく徹底的にリサーチしてあの映像が出来上がりました。
――あのシーンから、初めて心に不調を来すことを想像できました。この作品は、内に秘められた苦しみだけではなく、父と娘の親密さも映し出しています。セリフやドラマチックな演出もなしに“感情”を表現するのは難しかったのではないでしょうか?
ウェルズ監督:セリフで説明しない手法は諸刃の剣なんですよね。説明的なストーリーはどうしても繊細さや感情を取りこぼしてしまう。しかし、説明せずに多くの余白を残すと、誤解が生まれてしまう可能性もあります。一方で、余白があることで観客は深い感情に浸れます。結局、観る人になにかを“感じて”もらえれば、それでいいかなと思いました。
――説明的なセリフを極力避けるというのはウェルズ監督の信念なのですか?
ウェルズ監督:実際、気の利いたセリフを考えるのは大変(笑)。作品にもよると思いますが、直接的な表現のほうがよいときもありますし。ただ、私は普段からあまり話さないので、私の映画は沈黙がどうしても多くなってしまうと思います(笑)。
――ソフィは監督の少女時代のキャラクターなのですか?
ウェルズ監督:そこがキャスティングの美しいところで、脚本のソフィは私でしたが、フランキーがソフィを演じることにより、ソフィのキャラクターが根本的に変わりました。例えば、フランキーは悲しみのなかにじっと座っているのが好きじゃないんです。悲しいと感じることが嫌い。悲しさを言葉に出すことも嫌い。でもこのストーリーは悲しさもテーマなので、悲しみを表現したくないというフランキーの気持ちは作品づくりにおいてひとつの課題でもありました。泥風呂で父親が謝るシーンがありましたよね? 脚本では父親の謝罪に対してソフィが話すという流れだったんですが、フランキーはアドリブで父親との会話を避けました。結局、フランキーのあのアドリブがあのシーンを完成させたと思っています。
――面白いですね。悲しみを悲しく見せないことにより、“さらに”悲しく仕上がったというわけですね。
ウェルズ監督:私がもし映画をもう一度撮り直すことができたら、父と娘の心の繋がりや喜びを感じられる、“明るい瞬間”をもっと作ると思います。喪失感を超越した愛について描きたかったから。お茶を飲み、トランプをして、翌年の彼女の学校について話し一緒に笑うシーンが、この映画で唯一の明るい瞬間なのですが、物語的に何の役にも立たないからカットするように多くの人に言われたんですよ。でも、私は人生には喜びがあるからこそ、悲しみもあると思っていて。あのシーンを残して本当によかったと思います。
――観客からは、どんな反応がありましたか?
ウェルズ監督:私が想像していた以上に、この映画に共感してくれました。親子関係は多くの人の心に響くんだと思います。なぜかと言うと、子どもにとって親は“個”として理解できる存在じゃないから。子どもは親の歳に近づいて、やっと親を“個”として見るようになるんですが、それでもやっぱり完全に親を知ることはできない。多くの人が親子関係の複雑な思いを抱えているんじゃないでしょうか。
――最後に心身が健康であることの社会的な重要性は何だと思いますか?
ウェルズ監督:鬱のスティグマ(負の烙印)は未だにあります。メンタルヘルスの理解は近年だいぶ進みましたが、若い人たちがこの映画を気に入ってくれた理由は、ひと世代前よりも心の病について話すことができるようになった時代背景があると思います。生活の一部として心の健全性がやっと捉えられるようになりました。メンタルヘルスはとても身近なもの。隠さずに助けを求められるような社会にすることが不可欠だと思います。
『aftersun/アフターサン』
5 月 26 日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開
配給:ハピネットファントム・スタジオ
© Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting
Corporation, The British Film Institute & Tango 202
公式サイト:http://happinet-phantom.com/aftersun/index.html
2023.5.29 UP