「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
MOVIE- 知ることにより変わる・変えられる-
「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
SNS、未曾有の⻑寿社会、家⽗⻑制や終⾝雇⽤制度の崩壊、多様なジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティの可視化、顕著になったリプロダクティブ・ヘルス/ライツの貧困、そして、新型コロナウィルス……現代は前例のないことだらけ、ロールモデル不在の時代です。だからこそ、私達は⾃分のいる社会や世界をもっとよく知ることで、新しい⽣き⽅をデザインしていけるのではないでしょうか。「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な 映画を毎⽉お届けしていきたいと思います。
ディナーコースに18万円も払ったことがあるだろうか。そんな高級レストランに行けるのはひと握りの富裕層だが、実は世界中で高級レストランは年々増えているという。ただいま公開中の映画『ザ・メニュー』は高級レストランのディナーコースを題材に、格差社会におけるフードポルノやサービス業従事者への差別を風刺したサスペンスだ。
大ヒットドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』で6つのエピソードを手がけて世界中から注目を浴びるマーク・マイロッドが監督し、スペクタルなサスペンスに仕上がった本作。狂気のカリスマシェフをレイフ・ファインズ、彼に立ち向かう女性をアニャ・テイラー=ジョイが演じ、ニコラス・ホルトやジョン・レグイザモら演技派俳優たちが脇を固めた、ブラックジョーク満載の怖いエンターテイメントに仕上がっている。コロナで飲食業が痛手を受けたいま、なぜこのような映画が作られたのかーー。シェフが振る舞う恐怖のフルコースに込められた風刺について考えてみたい。
アメリカ北西部・太平洋沖の孤島にたたずむ超高級レストラン、ホーソン。有名シェフのスローヴィク(レイフ・ファインズ)が振る舞う、ひとり1,250ドル(約18万円)のディナーはなかなか予約がとれない。グルメマニアのタイラー(ニコラス・ホルト)に連れられて来たマーゴ(アニャ・テイラー=ジョイ)は、ナルシズムを発揮するシェフ、彼に従う軍隊のような料理人たち、物知り顔のゲストたちや過剰に芸術化された料理に違和感を覚えていく。案の定、レストランは徐々に不穏な雰囲気に。なんと一つ一つの料理には想定外の“サプライズ”が添えられていたのだ。果たして、レストランには、そして極上のコースメニューにはどんな秘密が隠されているのか? ミステリアスなシェフの正体とは……?
フードポルノとは、グルメマニアが“美しく壮大な料理”の写真をSNSでシェアする社会現象と、いま流行している料理の画像をさす。ポルノがセックスをエロティックな妄想に仕上げるのと同じように、フードポルノもまた料理をキラキラとしたファンタジーに仕上げる。現実にはセックスしないのにポルノを見て性的快楽を得るように、私たちは美しく飾られたフードの写真を眺めて栄養の代わりに快楽を補給するのだ。
フードポルノグラフィーという言葉は1984年にフェミニストの作家であるロザリンド・カワードが著書「Female Desire(女性の欲望)」で使った言葉だ。“料理を作り、美しく盛り付けることは奉仕の行為である”、“フードポルノグラフィーの写真は食べ物が作られる過程の全てを写さず、美しく飾られて加工されたものが使われる”とカワードは記した。(※1)
以来20年間、フードライター、シェフや批評家がフードポルノグラフィーという言葉を引用したが、2000年代に入りSNSやスマホが普及して、“料理=奉仕”から、“料理=美しい写真をSNSでシェアする”ことに変わっていった。SNSやスマホは、「他者から認められたい」という承認欲求を加速し、料理の概念まで変えたのである。
興味深いことに、フードスタイリストでシェフのパヤル・グプタ氏はフードポルノを「教育、知識、収入のシグナルで、コミュニティへの帰属意識を生み出すものである」と定義する。(※2)
映画では個性的な11人のゲストが登場する。ホーソンで出される料理に“食べる前から”魅了されて、自分は普段から料理もしないのに調理法や食材を考察する食通のタイラー(ニコラス・ホルト)。ボキャブラリーを駆使して物知り顔で料理を批判する料理評論家のリリアン(ジェネット・マクティア)と編集者のテッド(ポール・アデルスタイン)。何度も通っている顧客なのにホーソンでこれまで何を食べたのかも覚えていない、熟年夫婦のリチャード(リード・バーニー)とアン(ジュディス・ライト)。料理など眼中になく、会社の経費を使いホーソンで食事できることを鼻にかけている若きIT長者のブライス(ロブ・ヤン)、ソーレン(アルトゥー・カストロ)とデイヴ(マーク・セント・シア)。味音痴なのにグルメ番組司会者になろうとしている落ち目映画スターのジョージ(ジョン・レグイザモ)とアシスタントのフェリシティ(エイミー・カレロ)。
彼らがホーソンへやって来たのは、先述したグプタ氏の定義と同様、高級料理に対する教育と知識、あるいは、富裕層への帰属意識を誇示したいがためだろう。言い換えれば“パワー”を味わいに彼らは来たのだ。
彼らと同じく、ホーソンのシェフ、スローヴィクもまたフードポルノの象徴だ。「料理を食べないでください。味わうのです」とゲストに命令する彼が作るコースは、前衛的かつ概念的で食の原型をとどめていない。口に入れて味合う前に蒸発してしまう泡の料理などはフードポルノの最たるものだろう。食事本来の目的である栄養やゆっくりと食べる楽しみをゲストからが奪っているのだから……。
けれども、ホーソンのなかで唯一フードポルノに毒されていないゲストがいた。
それは、タイラーが連れてきたマーゴ(アニャ・テイラー=ジョイ)だ。マーゴだけは高級レストランに興味がない。それどころか、スローヴィクに抗い、彼の料理を拒否する。だからこそ、彼女だけがスローヴィクの企みを見抜き、立ち向かうことができるのだ。なぜ、マーゴだけがスローヴィクの本質を理解し、彼から一目置かれたのかーー。それは彼女の職業に秘密がある。ネタばれになるので本記事では、サービス業とだけ言っておこう。
マーゴは、行き過ぎた消費主義の陰にいる“見えない存在”の表象だ。コロナで顕著に表れた必要不可欠なサービス業従事者(エッセンシャルワーカー)のメタファーである。世界中がロックダウンをしていた最中、私たちはエッセンシャルワーカーの存在に改めて気がつき、感謝の喝采を送った。コロナ禍で一番必要とされたのに、一番感染リスクを負い精神的・肉体的・経済的ダメージを受けたのは彼らでなかったか。そうして、コロナが収まったかのように見える現在、私たちは再びエッセンシャルワーカーの存在を忘れてさまざまなサービスを享受しているのである。
スローヴィクはホーソンのキッチンを客から“見える”ステージにした。オープンキッチンで働く料理人たちの姿は、サービス業従事者の存在を私たちに“見せる”ためではないだろうか。加えて、料理人たちが独裁者・スローヴィクに軍隊のように従う様子は、ハラスメントとマチズモが横行しているレストラン業界を二重に風刺しているようでもある。
新自由主義社会においては欲望が善とされ、飽くなき欲望は留まるところを知らない。ビジネスに作られた不安で私たちは次から次へとモノ、人、サービスを買い、富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる……。
そして、このような分断が進んだ社会の結果が集約されるのは、スローヴィクのデザートコースだ。フードポルノや高級レストラン文化を嫌悪しながらも抜けられなかったシェフが、最後に作ったあっと驚くデザートとはーー。ブラックジョークのスパイスが効いたデザートをぜひ劇場で味わってほしい。
2022.11.22 UP