「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
MOVIE- 知ることにより変わる・変えられる-
「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
SNS、未曾有の⻑寿社会、家⽗⻑制や終⾝雇⽤制度の崩壊、多様なジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティの可視化、顕著になったリプロダクティブ・ヘルス/ライツの貧困、そして、新型コロナウィルス……現代は前例のないことだらけ、ロールモデル不在の時代です。だからこそ、私達は⾃分のいる社会や世界をもっとよく知ることで、新しい⽣き⽅をデザインしていけるのではないでしょうか。「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な 映画を毎⽉お届けしていきたいと思います。
今年2022年度のノーベル文学賞を受賞したフランス人作家アニー・エルノーが1960年代に自身の中絶体験を『事件』として小説化した(邦訳はハヤカワ文庫の『嫉妬/事件』に所収)。当時、フランスで中絶は違法。中絶を受ける人、中絶を施す医療従事者、中絶を助言・斡旋する人も刑事罰を受けることが多かった。アニー・エルノーが望まぬ妊娠をし、中絶を受けるまでの壮絶な道のりを描いた小説を読んだオードレイ・ディヴァン監督は映画化をすぐに切望したという。映像をあえて正方形に近いアスペクト比(画面の縦横比率の違い)にして、左右の余白を極力取り除くことで被写体を強調し、観客が主人公を追体験できるようにこだわった映画『あのこと』はヴェネチア国際映画祭金獅子賞を見事受賞。映画が生まれた背景から、作品に込められた思いまでオードレイ・ディヴァン監督に話を聞いた。
1960年代、フランス。大学の寮に住む学生のアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は卒業間近の優秀な生徒だったが、妊娠したことが発覚。かかりつけの医師やほかの医師も中絶に協力してくれない。違法行為に加担したら刑務所行きになるからだ。アンヌは女友達の多い同級生のジャン(ケイシー・モッテ・クライン)に自分と同じ経験のある女性を紹介してくれるように頼むが、ジャンは取り合ってくれないどころか、「妊娠しているならセックスしてもリスクはないだろう」と迫ってくる始末。アンヌは日に日に大きくなるお腹をどうすることもできず、とうとう女友達に相談するが、「巻き込まないで」と距離をとられる。貧しい両親の期待を一身に背負い大学進学しているアンヌは母親に打ち明けることもできず、途方にくれる。思いつめたアンヌは長い編み棒を自分の膣に刺して中絶しようとするがそれも失敗。最後の頼みの綱である妊娠した相手の男性も頼りにならず、けんか別れしてしまう。そんなとき、思いもかけぬ人物がアンヌに闇中絶の手引きをしてくれたのだが……。
ーー監督はご自身の中絶体験からエルノーの自伝を映画化することに決めたそうですね。
オードレイ・ディヴァン監督(以下、ディヴァン監督):自分が中絶をしたあと、中絶にまつわる文学作品を読みたくなりました。文学は、起こったことについて考える手助けをしてくれますから。でも、なかなかそのような文学が見つからなくて。周りの人に聞いたら、アニー・エルノーの「事件」を勧めてくれました。この小説について何も知らなかったんですが、読んだ後に、やっと中絶がどういうことかを知りました。”違法の中絶”が暴力だということを。
私が経験した中絶は合法な医療で、すべてがルーチン化されていました。アニーが経験した違法の中絶はすべてが予測不可能。誰が自分を助けてくれるのか、誰が自分を警察に突き出すのか、自分は刑務所に行くことになるのか……耐え難い不安ですよね……。本来は自分の体というとてもパーソナルな選択なのに、自分で選べないなんて。これを映画化して、ジェンダーや年齢に関係なくすべての人に、アニーが経験した暴力をどうしても伝えたいと思ったんです。
ーーフランスでは1970年代に中絶が合法化されました。その後もフェミニズムが進み、性と生殖に関する健康は女性の“人権”とされ、避妊、出産や中絶も“医療”と捉えられています。出産も無料ですし、特に未成年には中絶、避妊やアフターピルなどを含む様々な性と生殖の健康が無償で提供されています。フランスではいまだに中絶に対するスティグマがあるのでしょうか?
ディヴァン監督:確かに私たちフランス人には中絶の権利がありますが、中絶について映画を作ろうとすると誰もが不安な気持ちになるんですよね。誰も中絶について話したがりませんし、フランスもまだまだジェンダー平等とは言えません。例えば、私がヴェネチア国際映画祭で受賞したときに、多くの人が「ああ、女性がヴェネチアで受賞した!」と言いました。もし男女平等だったらそんなことを誰も口にしないでしょう。現実は、ヨーロッパで作られる映画のたったの25%が女性監督によるもの。まだまだ平等とは言えませんよね。
ーー確かに。さて、近年、『セイント・フランシス』『17歳の瞳に映る世界』『燃ゆる女の肖像』など中絶をやり抜くという決心をした、強い女性を描いた女性監督の映画が増えています。どうしてだと考えますか?
ディヴァン監督:女性たちは男女平等に向けて地道な戦いを続けて、現在、女性を取り巻く不平等はかなり改善されてきました。とはいえ、アメリカやポーランドで起こっているバックラッシュを見ると私たち女性は絶対に安心できません。だから、多くの女性監督が“女性の戦い”を描いているのではないでしょうか。戦争に行くのは男性だから、戦争映画のほとんどは男性目線ですよね? 同じように、中絶を描いた映画は女性の“沈黙の戦い”なのです。
ーーこの映画を観た男性からはどのような反応がありましたか?
ディヴァン監督監督:フランスでも、ヨーロッパのいくつかの国でも映画を見て失神した男性がいました。妊娠や中絶を全く理解していなかったと。上映後に私とアナマリアが気絶した男性を介護したときもあったんですよ。
ーー映画では中絶を通して女性の”自己決定権”を描いているだけではなく、性の喜びや欲望も描かれています。
ディヴァン監督:アニーの本にはセックスについての記述があまりなかったんですが、自己決定権をもっと掘り下げたいと思い、私の経験なども反映しました。例えば、アンヌの女友達が枕を使って性の喜びを表現するシーンは私の友人が見せてくれたものなんですよ!(笑) 女性の欲望は、私の次の題材です。実は、『エマニエル夫人』のリメイク版の脚本を今日書き終わったばかりで、エマニエルはレア・セドゥが演じ女性目線の『エマニエル夫人』になります。
ーー女性目線とは素晴らしい! 映画の公開が楽しみです。ところで、アンヌのセックスシーンにロマンスを持ち込みませんでしたね。なぜでしょう?
ディヴァン監督:性的欲望にロマンスは必ずしも必要じゃないと思っています。そう思いません?ロマンチックでキラキラとしたラブストーリーは、それはそれで美しいですが、セックスに道徳的なジャッジを持ち込まなくてもよいと思うんですよね。性的欲望はロマンチックじゃなくても美しい。女性にとって愛する人がそばにいて、その人とセックスをして快楽をただ味わいたいと願うことは悪いことじゃないと思うんです。
ーー女性の性欲はフランスではタブー視されていないのでしょうか?
ディヴァン監督:フランスは女性の性欲に関してとても自由な国だと思います。
ーー本作に登場するジャンを”悪い男”として描かなかった理由は何でしょう?
ディヴァン監督:最初は何にも分かっていない最低なジャンですが、彼はジェンダーロールや社会規範を超えて心を開き、アンヌの苦しみを理解しようとする。そうして、自分が逮捕されるかもしれないのにアンヌを助ける。アンヌとジャンの心が対話したんですよね。
私は、私たち全員が”いかに人間であるか”を知りたい。この映画は女性の戦いの物語ですが、“男対女”の対立ではなく人間同士の対話を描いたつもりです。ほとんどの男性は悪者じゃない。彼らのもつ“有害な男らしさ”は社会が生んだもの。彼らはそういう風に育てられただけなんです。フェミニストとして、ジェンダー不平等に反対するだけでなく、男と女、違うジェンダーの者同士が一緒になって私たちの間にあるギャップを埋めなければいけないと信じています。
この映画はみんなから“同意”を得られなくてもよい。ただ、ジェンダー、年齢、文化をこえて人間同士が触れ合う“対話”を開くきっかけになってくれれば……。映画や芸術ならそれが自由に表現できると信じています。
2022.12.26 UP