「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
MOVIE- 知ることにより変わる・変えられる-
「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
SNS、未曾有の⻑寿社会、家⽗⻑制や終⾝雇⽤制度の崩壊、多様なジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティの可視化、顕著になったリプロダクティブ・ヘルス/ライツの貧困、そして、新型コロナウィルス……現代は前例のないことだらけ、ロールモデル不在の時代です。だからこそ、私達は⾃分のいる社会や世界をもっとよく知ることで、新しい⽣き⽅をデザインしていけるのではないでしょうか。「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な 映画を毎⽉お届けしていきたいと思います。
最近、日本でも聞かれるようになった「里親制度」。とはいえ、里親制度についてよく知らない人も多いだろう。今回紹介する映画『1640日の家族』(7月29日公開)は、日本よりも柔軟な福祉が進んでいるフランスの里親制度を描き、「共育社会」や「共生社会」について考えさせられる。脚本、カメラワーク、キャストの演技すべてが素晴らしく、筆者は涙が止まらなかった。
アンナ(メラニー・ティエリー)と夫のドリス(リエ・サレム)が里子のシモン(ガブリエル・パヴィ)を受け入れて、4年半が経った。長男のアドリと次男のジュールは、18ヶ月でやってきたシモンと兄弟のように成長し、いつだって一緒に遊びまわっている。にぎやかで楽しい日々が続くと思っていた5人に、ある日、激震が走る。月に1度の面会交流を続けてきたシモンの実父エディ(フェリックス・モアティ)から、息子との暮らしを再開したいとの申し出があったのだ。突然訪れた“家族”でいられるタイムリミットに、彼らが選んだ未来とは――。
里親制度とは家族と離れて暮らす子どもを家庭に迎え入れて養育する制度で、養子縁組とは異なる。里親と子どもに法的な親子関係はなく、実親が親権者である(裁判所に親権停止を言い渡されている場合を除く)。親権をもたない里親には里親手当てや養育費が自治体から支給される傍ら、養子縁組をした養親は親権をもち、公的援助を受けない。
里親制度の規則では、実親の状況が改善したり、里子が上限年齢の18歳~22歳になったりした時点で児童相談所が委託を解除するそうだ。
この点はフランスでも同じで、アンナは担当のソーシャルワーカーに「里親は仕事だ」などと説かれる。しかし、シモンを赤ちゃんの頃から育てたアンナはそんな言葉に戸惑い、悩む。なぜなら、シモンはアンナが生みの母ではないことを知っていても彼女を「ママン」と呼び、2人の間には親子の愛が存在するからだ。
不思議なことに、日本では海外と比べると里親制度が浸透していない。2018年の東洋経済ONLINEによると、日本には、親とは暮らせないが養子縁組もできないという子どもたちが約4万5000人いるという。そういった子どもたちのほとんどが養護施設で暮らしている。
一方、欧米主要国では半分以上が里親委託だ。里親委託率は2010年の段階で、日本が12%、韓国が43.6%。ドイツ、フランス、イタリアが約50%で、イギリス、アメリカ、香港は70%以上だという(※1)。
なぜ、日本では里親が少ないのかーー。様々な理由があると思うが、筆者は「子どもは社会が育てる」という「共育社会」や「共生社会」意識の欠如のせいのように思えてならない。近年、子どもが公園で遊ぶのを騒音と文句を言ったり、「保育園建設・開設反対運動」をしたりする地域住民がとりざたされているのがその証拠ではないだろうか。
2つの実話をモチーフにした本作。ひとつは、代理母出産を描いた初の長編映画『ディアーヌならできる』(2017)でマイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル・映画監督審査員賞を受賞したファビアン・ゴルジュアール監督の体験。ゴルジュアール監督は子どもの頃、両親が生後18ヶ月の子どもを里子として迎えて、その子が6歳になるまで一緒に暮らしたそうだ。
もうひとつの実話は、監督が取材から得たエピソードだ。妻が赤ちゃんを産んだ後に死んでしまい、悲しみに打ちのめされた夫は、養育能力がないと判断されて赤ちゃんから引き離されてしまったという。
映画で描かれる実父エディは妻の死からやっと立ち直り始めた、うつ病を回復しつつある人物で、病気が理由でシモンを手放すしかなかった。仕事もやっと順調になったが、まだ子どもの扱いに慣れていない。どこか暗くて決して人好きのする父親ではないが、「息子と暮らしたい」という彼の思いは一途だ。
反対に、アンナとドリスの家庭には2人の男の子がおり、賑やかで愛に満ち溢れている。子どもたちは、喧嘩をしたり遊んだり親に反抗したりと非常にリアルだ。2つの実話がもとになったからこそ、登場人物ひとりひとりに人間味があり、どこにでもいそうな家族としてきちんと描かれている。
病気がよくなった実父はシモンを取り戻したい。里親家族はシモンと一緒にいたい。シモンもママンと暮らしたい。こんな場合はどうすればよいのかーー。6歳の子どもの希望を第一にすべきなのかーー。
答えは簡単に出ないだろう。誰もが正しいし、誰もがジレンマを抱えていて、誰もが幸せになりたい。そうして、この物語は「正しさはひとつじゃない」ことに改めて私たちを気づかせてくれるのだ。
なによりも印象深いのは、この映画は、「子どもは社会が面倒を見る」というフランス社会の理念を繰り返し、明確にしている点だ。シモンには本当の居場所(実父)があり、その居場所がきちんと整えられるまで”社会”がシモンの面倒を見るのが児童福祉の役割。里親はあくまで福祉の一部だから、里親の家族がどんなに完璧に見えたとて里親を優先しない。同様に、実父も優先しない。「子どもは”個人のモノ”ではない」という信念を社会が掲げているからこそ、ソーシャルワーカーはアンナと実父と話し合いを重ねて、シモンの幸せを探っていく。
本作に見る”視点の転換”も秀逸だ。カメラは最初、母親、父親、3人の子供たちの家族を軽やかに映し出す。家族旅行のドタバタといった”幸せな日常あるある”を遠くから映したり、家族のひとりひとりにフォーカスしたりして人間関係を丁寧に映し出し、あたたかでコミカルなヒューマンドラマに見せる。
ところが、シモンが実父の元へ行くことになってから、物語はサスペンスへと一転する。カメラのフレームは引き締まり、編集は増えてシーンがくるくると変わっていく。アンナを演じるメラニー・ティエリーの表情は険しくなり、ストーリーはシリアスなトーンへと変化していくのだ。このサスペンスのパートにさしかかると、カメラはアンナにフォーカスし、幸せな家族の絆にヒビが入っていく様子を“引き裂かれた母親の視点”から語る。軽やかさと深刻さ、平穏と衝突、幸せの絶頂と喪失の不安……こういった山あり谷ありの感情により、私たちはこの映画の世界に引きずり込まれてしまう。非常によく練られたカメラワークと演出である。
近年、生まれてくる子どもたちの約6割が「婚外子」だというフランス(※2)。同性婚も合法で、シングルペアレント、ステップファミリー( 再婚や事実婚により、血縁のない親子関係や兄弟姉妹関係を含んだ家族)など家族はますます多様化している。そんな社会的背景で、両親やきょうだいの有無、血のつながりは、子どもの“幸せの指標”にはならない。家族の形が多様化している社会だからこそ、「子どもは社会が育てる」という”理念”をもつことが非常に大切だと思う。
3組に1組が離婚するにも関わらず、離婚やシングルペアレントに対するスティグマ(ネガティブな烙印)が強い日本。とりわけ、シングルマザーの貧困は大きな社会問題となっているのに、十分な福祉が行き渡っていない。その一因には、子どもをみんなで育てようという「共育社会」、そして、すべての人々がお互いを大切にして生きる「共生社会」の意識の欠如があるのではないだろうか。ぜひ、この映画を見て考えてほしい。
2022.7.30 UP